agatatokanaeで『青空の切れ間』

岡山は暇な場所です。でも私が広島に行くと広島が暇な場所になって、兵庫に行くと兵庫が暇な場所になって、香川に行くと香川が暇な場所になります。そんな人間になっています。

区別を付けよう

 表札にはいろんなスタイルがある。「山本」だけのストロングスタイルがあれば、でかい「川田」に対して「恭弘、明子、かえで」の多勢に無勢スタイルもある。ていうか羅列系表札の場合絶対最後が平仮名オンリーの名前になってる気がする。「おれたちは最後に崩すことができるんだぜ!」という意思表示なのか。何かのはずみでチェンジアップがウィニングショットにならなかったらどうするのか。ストレートもチェンジアップも世間に、特に対戦相手のご近所様に見せてしまっているのだから文字通り「締まりがない」見栄えになってしまうんじゃないか。

 あーしはアパートの一人暮らしなのでそもそも悩む必要がない。その表札の部屋から出てくる奴はその表札に書かれた文字と対応させればいいだけ。何個も何個も人の名前を書いて人間の区別の準備を周りに促す必要はないし、仮にフルネームを書くのなら、それはもう名前で呼んでくれって言ってるようなもんじゃない?たぶん苗字も名前も同じ大きさで印刷されるだろうけど、社会常識のせいで名前のほうが大きく見えちゃう。人間の認知かくも恐ろしき。

 そういえば昔テレビで、アパートの表札とかに身に覚えのない落書きがあったら泥棒の情報伝達のサインの可能性があるから気をつけろってのを見たことがある。

 蛾が止まってた。たぶんそのレベルの軍事技術はまだ泥棒さん程度の人間のもとにはやってこない。

 しかしなぜ彼らが泥棒さんになってしまうのか問うと、つまりは人生がうまくいっていないからだと思うの。経済的失敗?、劣等感?、愛が足りない?ドロ食らったら死ぬほどむかつくけど何事にも要因があると思うと100%責める気にはなれない。いつもこう。犯人に勝手に肩入れしちゃうからコナン君の映画は大嫌い。あんなん犯人がいたから映画があるんじゃなくて映画があるから犯人がいるってレベルじゃん。近くに白に黒抜きで苗字だけとその横に黄色に赤抜きで「犬」ってついてる表札の一軒家がある。「〇〇〇も△△だ」なんて主張はペットかったことないあーしからしたら興味ないので興味ないあーしの前で主張しないでくれってカンじなんだけど、まあ心情的には分からなくもない。ただ、これだともう「犬」が家族で人間も家族って見えてもしゃーないと思う。人間らしさを失わないために、抵抗の証としてかっこよさげのフォントで、犬ころにばれてしまわないように。

 それに比べたら泥棒なんて控えめでいいもんだよね。あーしにもあーしのご近所さんに対しても、表札でふざけて自分がご主人様よりも前に出ることはない。むしろご主人様には一見わからないように、それでもテレビで特集されるレベルにはバレバレの方法で自分がいることを主張してくる。ノラのしつけがなってない人間がうちによりついてきたって、ちょっと厄介をされたからって、その背景を考えてしまうとやはりうちで情が入っちゃう。なんなら、競争することをやめた犬よりも競争に身をさらされている人間のほうが防犯的な観点からも役に立つかもしれない。もしうちに泥棒がよりついてきたら家族にしよう。でもその時は家庭内の序列をきっちりと示さなきゃだめだから、小っちゃく「泥」。待てよ、泥棒とはいえペットにする相手は人間なのだから「泥」の「棒」はさすがに失礼すぎる。それじゃあ苗字の横に小っちゃく「盗っ人」の「盗」を書きたそう。

 表札を見たご近所さんから区別される人間の出来上がり。