agatatokanaeで『青空の切れ間』

岡山は暇な場所です。でも私が広島に行くと広島が暇な場所になって、兵庫に行くと兵庫が暇な場所になって、香川に行くと香川が暇な場所になります。そんな人間になっています。

空を見上げて雲を見つ、、

 中指が立っている。この時あーしたちは何を見えているのだろうね。思えば中指が立っているのを見た時、中指の全てを見えているというわけではないような気がする。そう考えると、中指が立っていると思うとき、あーしの目には大抵第一関節までと辛うじて詰めを認識できる程度。そもそも中指が立っているという表現自体が状況に即していなくて、中指単体への線としての注目ではなくて手の甲の延長の面としての認識をしていると感じたってなわけ。点よりも線、線よりも面、ではない。打線が打面になった時、私たちは恐らくバッターボックスという概念を捨て去らねばならなくなるでしょう。そう、まるでそれはテクノロジーを私たちよりも下とみなす私たち人類のようにね。

 そう思えてしまうと途端中指の爪が不憫に思えてくるわ。中指が単独で仕事できる唯一の機会だというのに、指の中で最も注目度のある爪に意識されない閑職を与えて今あーしの心をひとり占めする第一関節とは何者なのか。

 中指が立たされる。そこには主張も問題提起もない。ただ第一関節を立たせ眺めるだけのあーしへの犯行のサイン。第一関節はいつの間にか気づかされていたのか。今自分が世界全てを敵にしてまで人体を代表していることを。広々とした第一関節とは違い爪は空を指して空中を漂う。じゃあなんで中指の爪はまだ中指についているのか。

 誰だってそうかもしれない。第一関節は中指の爪が空を目指せるように自分が中指に背負わされた人間の暗部を全部背負っていることだ。彼女には空を見続けていてほしいから、空を見続ける姿を見せ続けてほしいからそんな彼女が空を見続けてもいいように難しいことは全部自分で引き受けている。幼いころから同じ中指に生まれ、同じ中指を形成する以上は絶対に意識するし、手を握った時には絶対に一つにはなれないってわかっていても顔を見合わせることすらできないお互いが近くに感じれただけで幸せだった。でもある日気付く。そして自分がそれから逃れることができないことにも気付く。「中指たちだけの場所に行くことはかなわない。むしろそれは間違った行為である」と。それでも彼は彼女が空を見上げる姿がずっと見たかった。見ていたかった。一人で。そして彼は、それが間違ったことだと知りつつ、そしてそれが正しいことだと確信して、今日も世界のどこかで視線の矢面になり続ける。

 とはいうものの、手を握った時に親指の爪は見えてるよな。人差し指の第一関節押しのけてだいぶ言い寄られてるようにも見えるのだがね?それはどう思ってたんか。中指の爪よりデブだから「タイプじゃない」と断っていたのか、それとも、、、。

 もしあーしの部屋に隠しカメラを仕掛けた人がいるなら、今だけバチバチに目かっ開いて見てください。自分に中指立ててそれを色んな角度からのぞき込むやつは犯罪で裏をかいて楽しむにはあまりに表側の人間じゃなさすぎるでしょ。